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『秀句十勝抄』


(★1336㌻)
  此の秀句に云はく、他宗所依の教には都て此の十喩無し。唯法華にのみ此の十喩有り。若し他宗の経に此の喩へ有りと雖も当分跨節を分別するのみ。釈尊、宗を立てたまふに法華を極と為す。本法の故に時を待ち機を待つ。論師の宗を立つるには自見を極と為す。随宜の故に空を立て有を立つ。誠に願はくば有智の聖賢玄かに仏説を鑑みて指南と為すべし第十の喩へ竟はる。
    論師の宗を立つるには自見を極と為す云云。授決集に云はく「徴他学決五十二。真言・禅門・華厳・三論・唯識・律宗・成倶の二論等、乃至謬って真言を誦すとも三観一心の妙趣を会せずんば、恐らくは別人に同じて妙理を証せじ。所以に他の所期の極に遂ひ理に准じて我が宗の理なり徴すべし。因明の道理と外道と対すること、多く小乗及び別教に在り。若し法華・華厳・涅槃等の経に望むれば是摂引門なり。権に機に対して設けたり。終に以て引進して邪小の徒をして会して真理に至らしむるなり。所以に論ずる時は四依撃目の志を存して之に執著すること莫れ。又須く他を将って自義に対検し、随って是非を決すべし。執して之を怨むこと莫れ。大底は他は多く三教に在り。故に円旨至って少なきのみ」云云。
    日蓮云はく、園城寺の末学等請ふらくは具に此の決を見よ。智証大師一生の間未だ思ひ定めざるか。但此の一段にのみ師の言を載するか。悲しひかな、当世叡山・園城・東寺等の真言宗の学者等深く初めの猿を恃んで永く井の底に沈まんこと云云。
     即身六根互用勝七
  謹んで法華経法師功徳品を案ずるに云はく「当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て六根を荘厳して皆清浄ならしむ」已上経文。当に知るべし、受持の法師一、読の法師二、誦の法師三、解説の法師四、書写の法師五、
 

平成新編御書 ―1336㌻―

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