←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『中興入道御消息』


(★1431㌻)
 仏と申す物もいきたる物にもあらず、経と申す物も外典の文にもにず、僧と申す物も物はいへども道理もきこへず、形も男女にもにざりしかば、かたがたあやしみをどろきて、左右の大臣、大王の御前にしてとかう僉議ありしかども、多分はもちうまじきにてありしかば、仏はすてられ、僧はいましめられて候ひしほどに、用明天皇の御子聖徳太子と申せし人、びだつの三年二月十五日、東に向かひて南無釈迦牟尼仏と唱へて御舎利を御手より出だし給ひて、同六年に法華経を読誦し給ふ。
  それよりこのかた七百余年、王は六十余代に及ぶまで、やうやく仏法ひろまり候ひて、日本六十六箇国二つの島にいたらぬ国もなし。国々・郡々・郷々・里々・村々に堂塔と申し、寺々と申し、仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり。日月の如くあきらかなる智者代々に仏法をひろめ、衆星のごとくかゞやくけんじん国々に充満せり。かの人々は自行には或は真言を行じ、或は般若、或は仁王、或は阿弥陀仏の名号、或は観音、或は地蔵、或は三千仏、或は法華経読誦しをるとは申せども、無智の道俗をすゝむるには、たゞ南無阿弥陀仏と申すべし。譬へば女人の幼子をまうけたるに、或はほり、或はかわ、或はひとりなるには、母よ母よと申せば、きゝつけぬれば、かならず他事をすてゝたすくる習ひなり。阿弥陀仏も又是くの如し。我等は幼子なり。阿弥陀仏は母なり。地獄のあな、餓鬼のほりなんどにをち入りぬれば、南無阿弥陀仏と申せば音と響きとの如く、必ず来たりてすくひ給ふなりと、一切の智人ども教へ給ひしかば、我が日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。
  然るに日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者、民が子にて候ひしかば、日本国七百余年に、一人もいまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱へ候のみならず、皆人の父母のごとく、日月の如く、主君の如く、わたりに船の如く、渇して水のごとく、うえて飯の如く思ひて候南無阿弥陀仏を、無間地獄の業なりと申し候ゆへに、食に石をたひたる様に、がんせきに馬のはねたるやうに、渡りに大風の吹き来たるやうに、じゆらくに大火のつきたるやうに、俄かにかたきのよせたるやうに、とわりのきさきになるやうに、をどろきそねみねたみ候ゆへに、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間、退転なく申しつより候事、月のみつるがごとく、しほのさすがごとく、はじめは日蓮只一人唱へ候ひしほどに、見る人、
 

平成新編御書 ―1431㌻―

provided by