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『本門戒体抄』


(★1438㌻)
 菩薩の前にしても仏の前に非ざれば戒を授けざるなり。
  大乗戒の事。師は必ず五徳を具する僧なり。常には一師二師なり。一師とは名目梵網経に出づ。二師とは和尚と阿闍梨となり。
  具に十重禁戒を受くるを大僧と名づくるなり。亦具足戒とも云ふなり。一戒二戒を受くるをば具足戒とは云はざるなり。日本国には伝教大師より始めて一向大乗戒を立つるなり。伝教已前には通受戒なり。通受戒とは、小乗戒を受けては威儀を正し、大乗戒を受けては成仏を期するなり。大小乗の戒を兼ね受くるを通受戒と云ふ。日本国には小乗の別解脱戒の弘まることは鑑真和尚の時より始まれり。鑑真已前は沙弥戒なり。千里の内に五徳を具せし僧無くんば自誓受戒す。自誓受戒とは道場に座して一日二日乃至一年二年罪障を懺悔す。普賢文殊等来たりて告げて、毘尼薩毘尼薩と云はん時自誓受戒すべし。即ち大僧と名づく。毘尼薩毘尼薩とは滅罪滅罪と云ふ事なり。若し五徳を具する僧有れば、好相を見ざれども受戒するなり。十重禁戒を破る者も懺悔すれば之を授く。四十八軽も亦復是くの如し。五逆七逆は論なり。経文分明ならず、授けざるは道理なり。仏は則ち盧舎那仏・二十余の菩薩・羅什三蔵・南岳・天台乃至道邃・伝教大師等なり。達磨・不空は天竺より此の戒を受けたり。已上常人の義なり。
  日蓮云はく、彼は梵網の意か。伝教大師の顕戒論に云はく「大乗戒に二有り。一には梵網経の大乗。二には普賢経の大乗なり。普賢経は一向自誓受戒なり」と。常人は梵網千里の外の自誓受戒と普賢経の自誓受戒と之同じと思へるなり。日蓮云はく、水火の相違なり。所以は何ん。伝教大師の顕戒論に二義有り。一には梵網経の十重戒、四十八軽戒の大僧戒。二には普賢経の大僧戒なり。梵網経の十重禁・四十八軽戒を以て眷属戒と為すなり。法華経・普賢経の戒を以て大王戒と為すなり。小乗の二百五十戒等は民戒、梵網経の戒は臣戒、法華経普賢経の戒は大王戒なり云云。普賢経の戒師は、千里の外にも千里の内にも、五徳有るも五徳無きも、
 

平成新編御書 ―1438㌻―

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