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『本門戒体抄』


(★1440㌻)
 之を用ゐて和尚と為すなり。二は金色世界の文殊師利菩薩、之を請じて阿闍梨と為す。四味三教並びに爾前の円教の文殊には非ず。此は法華迹門の文殊なり。三は都史多天宮の弥勒慈尊、之を請じて教授と為す。小乗未断惑の弥勒、乃至通・別・円等の弥勒には非ず。亦無著菩薩、阿輸舎国に来下して授けし所の大乗師の弥勒にも非ず。此は迹門方便品を授くる所の弥勒なり。已上三師なり。一証とは十方の諸仏なり。此は則ち小乗の七証に異なるなり。一伴とは同伴なり。同伴とは同じき受戒の者なり。法華の序品に列なる所の二乗・菩薩・二界八番の衆なり。今の戒は、小乗の二百五十戒等並びに梵網の十重禁・四十八軽戒・華厳の十無尽戒・瓔珞の十戒等を捨てゝ、未顕真実と定め畢って、方便品に入って持つ所の五戒・八戒・十善戒・二百五十戒・五百戒乃至十重禁戒等なり。経に「是名持戒」とは則ち此の意なり。迹門の戒は爾前大小の諸戒には勝ると雖も而も本門戒には及ばざるなり。
  十重禁とは、一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不邪淫戒、四には不妄語戒、五には不酒戒、六には不説四衆過罪戒、七には不自讃毀他戒、八には不慳貪戒、九には不瞋恚戒、十には不謗三宝戒なり。
  第一に不殺生戒とは、爾前の諸経の心は仏は不殺生戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は殺生第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不殺生戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不殺生戒を持たず。二乗・闡提・無性有情等の九界の衆生を殺して成仏せしめず。能化の仏未だ殺生罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、
 

平成新編御書 ―1440㌻―

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