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『浄蔵浄眼御消息』


(★1481㌻)
 何にしても六道の一切衆生をば、法華経へつけじとはげむなり。
  然るに何なる事にやをはすらん、皆人の憎み候日蓮を不便とおぼして、かく遥々と山中へ種々の物送りたび候事、一度二度ならず。たゞごとにあらず、偏へに釈迦仏の入り替はらせ給へるか。又をくれさせ給ひける御君達の御仏にならせ給ひて、父母を導かんために御心に入り替はらせ給へるか。
  妙荘厳王と申せし王は悪王なりしかども、御太子浄蔵・浄眼の導かせ給ひしかば、父母二人共に法華経を御信用有りて、仏にならせ給ひしぞかし。是もさにてや候らん。あやしく覚え候。甲斐公が語りしは、常の人よりもみめ形も勝れて候ひし上、心も直くて智慧賢く、何事に付けてもゆゝしかりし人の、疾くはかなく成りし事の哀れさよと思ひ候ひしが、又倩思へば、此の子なき故に母も道心者となり、父も後世者に成りて候は只とも覚え候はぬに、又皆人の悪み候法華経に付かせ給へば、偏へに是なき人の二人の御身に添ひて勧め進らせられ候にやと申せしが、さもやと覚え候。前々は只荒増の事かと思ひて候へば、是程御志の深く候ひける事は始めて知りて候。又若しやの事候はゞ、くらき闇に月の出づるが如く、妙法蓮華経の五字、月と露はれさせ給ふべし。其の月の中には釈迦仏・十方の諸仏、乃至前に立たせ給ひし御子息の露はれさせ給ふべしと思し召せ。委しくは又々申すべし。恐々謹言。
   七月七日                      日蓮花押    
 

平成新編御書 ―1481㌻―

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