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『内房女房御返事』


(★1493㌻)
 仏法も亦かくの如し。然るに外道と仏法と中悪し。何にしても白馬を鳴かせん方を信じて、一方を我が国に失ふべしと云云。爾の時に一切の外道集まりて、白鳥を現じて白馬を鳴かせんとせしかども、白鳥現ずる事なし。昔は雲を出だし霧をふらし、風を吹かせ波をたて、身の上に火を出だし水を現じ、人を馬となし馬を人となし、一切自在なりしかども、如何がしけん白鳥を現ずる事なかりき。爾の時に馬鳴菩薩と申す仏子あり。十方の諸仏に祈願せしかば、白鳥則ち出で来たりて白馬則ち鳴けり。大王此を聞こし食し、色も少し出で来たり、力も付き、はだへもあざやかなり。又白鳥又白鳥と千の白鳥出現して、千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴きしかば、大王此の声を聞こし食し、色は日輪の如し、膚は月の如し。力は那羅延の如し、謀は梵王の如し。爾の時に綸言汗の如く出でて返らざれば、一切の外道等其の寺を仏寺となしぬ。
  今の日本国亦かくの如し。此の国は始めは神代なり。漸く代の末になる程に、人の意曲がり、貪瞋癡強盛なれば、神の智浅く、威も力も少なし。氏子共をも守護しがたかりしかば、漸く仏法と申す大法を取り渡して、人の意も直に、神も威勢強かりし程に、仏法に付き謬り多く出来せし故に、国もあやうかりしかば、伝教大師漢土に渡りて、日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合はせて、おろかなるをば捨て、賢きをば取り、偏頗もなく勘へ給ひて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置きて候ひしを、弘法大師・慈覚大師・智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せ、或は月氏に事を寄せて法華経を或は第三第二、或は戯論、或は無明の辺域等と押し下し給ひて、法華経を真言の三部と成さしめて候ひし程に、代漸く下剋上し、此の邪義既に一国に弘まる。人多く悪道に落ちて、神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に、八十一乃至八十五の五王は、或は西海に沈み或は四海に捨てられ、今生には大鬼となり後生には無間地獄に落ち給ひぬ。然りと雖も此の事知れる人なければ改むる事なし。今日蓮此の事をあらあら知る故に、国の恩を報ぜんとするに、日蓮を怨み給ふ。
 

平成新編御書 ―1493㌻―

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