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『諌暁八幡抄』


(★1542㌻)
 一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし。
  平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云はく「我は是日本の鎮守八幡大菩薩なり。百王を守護せん誓願有り」等云云。今云はく、人王八十一・二代隠岐の法皇、三・四・五の諸皇已に破られ畢んぬ。残る二十余代今捨て畢んぬ。已に此の願破るゝがごとし。日蓮料簡して云はく、百王を守護せんといふは正直の王百人を守護せんと誓ひ給ふ。八幡の御誓願に云はく「正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭らず」等云云。夫月は清水に影をやどす、濁水にすむ事なし。王と申すは不妄語の人、右大将家・権の大夫殿は不妄語の人、正直の頂、八幡大菩薩の栖む百王の内なり。
  正直に二あり。一には世間の正直、王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく。天・人・地の三は横なり。たつてんは縦なり。王と申すは黄帝、中央の名なり。天の主・人の主・地の主を王と申す。隠岐の法皇は名は国王、身は妄語の人、横人なり。権の大夫殿は名は臣下、身は大王、不妄語の人、八幡大菩薩の願ひ給ふ頂なり。二には出世の正直と申すは爾前七宗等の経論釈は妄語、法華経天台宗は正直の経釈なり。本地は不妄語の経の釈迦仏、迹には不妄語の八幡大菩薩なり。八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。四月八日寅の日に生まれ、八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。豈教主の日本国に生まれ給ふに有らずや。大隅の正八幡宮の石の文に云はく「昔は霊鷲山に在って妙法華経を説き、今は正宮の中に在って大菩薩と示現す」等云云。法華経に云はく「今此三界」等云云。又「常在霊鷲山」等云云。遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり。近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり。今日本国の一切衆生は八幡を恃み奉るやうにもてなし、釈迦仏をすて奉るは、影をうやまって体をあなづる、子に向いて親をのるがごとし。本地は釈迦如来にして、月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、垂迹は日本国に生まれては正直の頂にすみ給ふ。
 

平成新編御書 ―1542㌻―

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