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『諌暁八幡抄』


(★1543㌻)
  諸の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども、垂迹の門は無量なり。所謂髪倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し、鴦掘摩羅は生々に殺生を示す、舎利弗は外道となり、是くの如く門々不同なる事は、本凡夫にて有りし時の初発得道の始を成仏の後、化他門に出で給ふ時、我が得道の門を示すなり。妙楽大師云はく「若し本に従って説かば、亦是くの如し。昔殺等の悪の中に於て能く出離す。故に是の故に迹中にも亦殺を以て利他の法門と為す」等云云。今の八幡大菩薩は本地は月氏の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂にやどらむと云云。若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖み給ふべし。
  法華経の第五に云はく「諸天、昼夜に常に法の為の故に、而も之を衛護す」文。経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべしと見えたり。又第六の巻に云はく「或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す」文。観音尚三十三身を現じ、妙音又三十四身を現じ給ふ。教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや。天台云はく「即ち是形を十界に垂れて種々の像を作す」等云云。
  天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。
 

平成新編御書 ―1543㌻―

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