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『就註法華経口伝』


(★1735㌻)
 法華経は即ち我等が色心の二法なり。仍って身子此の品の時聞此法音と領解せり。聞とは名字即、法音とは諸法の音なり。諸法の音とは妙法なり。爰を以て文句に釈する時「長風息むこと靡し」と。長風とは法界の音声なり。この音声を信解品に「以仏道声令一切聞」と云へり。一切は法界衆生の事なり。此の音声とは南無妙法蓮華経なり。
    第三 身意泰然快得安穏の事  文句の五に云はく「従仏は是身の喜びを結するなり。聞法は是口の喜びを結するなり。断諸疑悔は是意の喜びを結するなり」と。
  御義口伝に云はく、身意泰然とは煩悩即菩提・生死即涅槃なり、身とは生死即涅槃なり、意とは煩悩即菩提なり、従仏とは日蓮に従ふ類等の事なり、口の喜びとは南無妙法蓮華経なり、意の喜びとは無明の惑障無き故なり。爰を以て之を思ふに、此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり。方便の教は泰然に非ず、安穏に非ざるなり。行於険径多留難故の教なり。
    第四 得仏法分の事
  御義口伝に云はく、仏法の分とは初住一分の中道を云ふなり。迹門初住本門二住已上と云ふ事は此の分の字より起こるなり。所詮此の分の一字は一念三千の法門なり。其の故は地獄は地獄の分にて仏果を証し、乃至三千の諸法己々当体の分にて仏果を証したるなり。真実の我等が即身成仏なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱ふる分にて仏果を証したるなり。分とは権教は無得道、法華経は成仏と分かつと意得べきなり。又云はく、分とは本門寿量品の意なり。己々本分の分なり。総じて迹門初住分証とは教相なり。真実には初住分証の処にて一経は極まりたるなり。
    第五 而自廻転の事  記の五に云はく「或は大論の如し。経に而自廻転と云ふは、身子得記を聞き法性自然にして転じ、因果依正自他悉く転ずるを表はす」と。
 

平成新編御書 ―1735㌻―

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