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『就註法華経口伝』


(★1754㌻)
 諸法実相の光明なるが故なり。
    第九 各齎宝華満掬の事
  御義口伝に云はく、宝華とは合掌一念三千の所表なり、各とは十界なり、満の一字を一念三千と心得べし。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは仏に宝華を奉るなり。宝華は即ち宝珠なり、宝珠は即ち一念三千なり。「合掌し敬心を以て具足の道を聞きたてまつらんと欲す」とは是なり云云。
    第十 如却関鑰開大城門の事  科註の四に云はく、此の開塔見仏は蓋し所表有るなり。何となれば則ち開塔即開権なり。見仏即顕実なり。是亦前を証し復将に後を起こさんとするのみ。如却関鑰とは却は除なり。障除こり機動ずることを表はす。謂はく、法身の大士惑を破し理を顕はし道を増し生を損するなりと。
  御義口伝に云はく、関鑰とは謗法なり、無明なり。開とは我等が成仏なり。大城門とは我等が色心の二法なり。大城とは色法なり。門とは口なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、無明の惑障却けて己心の釈迦多宝住するなり。関鑰とは無明なり、開とは法性なり、鑰とは妙の一字なり。天台云はく「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」と。妙の一字以て鑰と心得べきなり。此の経文は謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云ふ事なり。開仏知見之を思ふべし云云。
    第十一 摂諸大衆皆在虚空の事
  御義口伝に云はく、大衆とは聴衆なり、皆在虚空とは我等が死相なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、生死即涅槃と開覚するを説くなり。生死を皆在虚と心得べきなり。摂とは被摂なり、凡夫即極なり、煩悩即菩提・生死即涅槃と被摂するなり。大地とは色法なり、虚空とは心法なり。色心不二と心得べきなり。虚空とは寂光なり。又云はく、虚空とは蓮華なり。経とは大地なり、妙法は天地、虚空とは中なり。一切衆生・仏・
 

平成新編御書 ―1754㌻―

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