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『就註法華経口伝』


(★1764㌻)
    涌出品一箇の大事
    第一 唱導之師の事
  御義口伝に云はく、涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり。本化の菩薩の所作は南無妙法蓮華経なり。此を唱と云ふなり。導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり。末法の導師とは本化に限ると云ふを師と云ふなり。此の四大菩薩の事を釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云はく「経に四導師有りとは今四徳を表す。上行は我を表し、無辺行は常を表し、浄行は浄を表し、安立行は楽を表す。有る時には一人に此の四義を具す。二死の表に出づるを上行と名づけ、断常の際を踰ゆるを無辺行と称し、五住の垢累を超ゆるが故に浄行と名づけ、道樹にして徳円かなるが故に安立行と曰ふなり」と。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は皆地涌の流類なり。又云はく、火は物を焼くを以て行とし、水は物を浄むるを以て行とし、風は塵垢を払ふを以て行とし、大地は草木を長ずるを以て行とするなり。四菩薩の利益とは是なり。四菩薩の行は不同なりと雖も倶に妙法蓮華経の修行なり。此の四菩薩は下方に住する故に、釈に「法性の淵底・玄宗の極地」と云へり。下方を以て住処とす。下方とは真理なり。輔正記に云はく「下方とは生公の云はく、住して理に在るなり」云云。此の理の住処より顕はれ出づるを事と云ふなり。又云はく、千草万木地涌の菩薩に非ずと云ふ事なし。されば地涌の菩薩を本地と云へり。本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり。此の菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり。此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず。此の本法の体より用を出だして止観と弘め一念三千と云ふ。総じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め玉ふなり。此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云。
 

平成新編御書 ―1764㌻―

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