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『就註法華経口伝』


(★1776㌻)
 信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり。眼とは法華経なり。此の大乗経典は諸仏の眼目と云へり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は眼の功徳を得るなり云云。耳鼻舌身意又々此くの如きなり云云。
    第三 又如浄明鏡の事
  御義口伝に云はく、法華経に鏡の譬へを説く事此の明文なり。六根清浄の人は瑠璃の明鏡の如く三千世界を見ると云ふ経文なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は明鏡に万像を浮かぶるが如く知見するなり。此の明鏡とは法華経なり、別しては宝塔品なり。又は我が一心の明鏡なり。所詮瑠璃と明鏡との二つの譬へを説かれたり。身根清浄の下なり。色心不二なれば何れも清浄の徳分なり。浄とは不浄に対して浄と云ふなり、明とは無明に対して明と説くなり、鏡とは一心なり。浄は仮諦、明は空諦、鏡は中道なり。悉見諸色像の悉は十界なり。所詮浄明鏡とは色心の二法妙法蓮華経の体なり。浄明鏡とは信心なり云云。又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり。
    第四 是人持此経安住希有地の事
  御義口伝に云はく、是人とは日本国の一切衆生の中には法華の行者なり。希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり。是を又分別品に仏説希有法と説かれたり。別しては南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の希有の地とは、末法弘経の明鏡たる本尊なり。総じて此の品の六根清浄の功徳は十信相似即なり。対告衆の常精進菩薩は十信の第三信と云へり。然りと雖も末法に於て法華経の行者を指して常精進菩薩と意得べきなり。此の経の持者は是則精進の故なり。
 

平成新編御書 ―1776㌻―

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