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『就註法華経口伝』


(★1779㌻)
 所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり。
    第十一 於四衆中説法心無所畏の事
  御義口伝に云はく、四衆とは日本国の中の一切衆生なり、説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類南無妙法蓮華経と呼ばはる所の折伏なり云云。
    第十二 常不軽菩薩豈異人乎則我身是の事
  御義口伝に云はく、過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり。此の釈尊は寿量品の教主なり。寿量品の教主とは我等法華の行者なり。さては我等が事なり。今日蓮等の類は不軽菩薩なり云云。
    第十三 常不値仏不聞法不見僧の事
  御義口伝に云はく、此の文は不軽菩薩を軽賤するが故に三宝を拝見せざる事、二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云へり。今末法に入って日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者を軽賤せん事彼に過ぎたり。彼は千劫、此は至無数劫なり。末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。法とは題目なり。僧とは我等行者なり。仏共云はれ、又は凡夫僧共云はるゝなり。深覚円理名之為仏の故なり。円理とは法華経なり。
    第十四 畢是罪已復遇常不軽菩薩の事
  御義口伝に云はく、若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共、浅く有っては無間に堕つべきなり。先の謗法強きが故に依るなり。百劫無間地獄に堕ちて後に出づる期有つて又日蓮に値ふべきなり。復遇日蓮なるべし。
    第十五 於如来滅後等の事
  御義口伝に云はく、不軽菩薩の修行此くの如くなり。仏の滅後に五種に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり。正しく是故より下の二十五字は末法日蓮等の類の事なるべし。既に是の故にとをさえて於如来滅後と説かれたり。
 

平成新編御書 ―1779㌻―

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