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『就註法華経口伝』


(★1793㌻)後
  御義口伝に云はく、此の内の字は東西北の三方を嫌へる文なり。広令流布とは法華経は南閻浮提計りに流布すべしと云ふ経文なり。此の内の字之を案ずべし。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は深く之を思ふべきなり云云。
    第六 此人不久当詣道場の事
  御義口伝に云はく、此人とは法華経の行者なり。法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり。道場とは十界の衆生の住処を云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。此を道場と云ふなり。「此の因易むること無きが故に直至と云ふ」の釈之を思ふべし。此の品の時最上第一の相伝あり。釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り玉ふなり。「当に起って遠く迎ふべきこと当に仏を敬ふが如くすべし」の文是なり。此の文に迄って経は終はるなり。当の字は未来なり。当起遠迎とは必ず仏の如く法華経の行者を敬ふべしと云ふ経文なり。法師品には「此の経巻に於て敬ひ視ること仏の如くす」と云へり。八年の御説法の口開きは南無妙法蓮華経方便品の諸仏智慧にして、終はりは当起遠迎当如敬仏の八字なり。但此の八字を以て法華一部の要路とせり。されば文句の十に云はく「当起遠迎当如敬仏よりは其の信者の功徳を結することを述するなり」と。法華一部は信の一字を以て本とせり云云。
  尋ねて云はく、法華経に於て序品には首に如の字を置き、終はりの普賢品には去の字を置く。羅什三蔵の表事の法門心地如何なるぞや。答へて云はく、今経の法体は実相と久遠の二義を以て正体とするなり。始めの如の字は実相を表し、終はりの去の字は久遠を表するなり。其の故は実相は理なり、久遠は事なり、理は空の義なり、空は如の義なり。之に依って如をば理空に配当するなり。釈に云はく「如は不異に名づく。即ち空の義なり」と。久遠は事なり。其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意とするなり。而るに去は久遠に当たるなり。
 

平成新編御書 ―1793㌻―

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