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『就註法華経口伝』


(★1795㌻)
 去は開の義、如は合の義なり。開は分別の心なり。合は無分別の意なり。此の開合を生仏に配当する時、合は仏界、開は衆生なり。序品の始めに如の字を顕はしたるは生仏不二の義を顕はしたるなり。迹門は不二の分なり。不変真如なる故なり。此の如是我聞の如をば不変真如の如と習ふなり。空仮中の三諦には、如は空、是は中、我聞は仮諦、迹門は空を面とする故に不二の上の而二なり。而る間而二の義を顕はす時、同聞衆を別に列ぬるなり。さて本門の終はりの去は随縁真如にして而二の分なり。仍って去の字を置くなり。作礼而去の去は随縁真如の如と約束するなり。本門は而二の上の不二なり。而二不二常同常別古今法爾の釈之を思ふべし。此の去の字は彼の五千起去の去と習ふなり。其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間、五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云ふ義なり。如去の二字は生死の二法なり。伝教の云はく、「去は無来の如来・無去の円去等」云云。如の字は一切法是心の義、去の字は只心是一切法の義なり。一切法是心は迹門の不変真如なり。只心是一切法は本門の随縁真如なり。然る間法界を一心に縮むるは如の義なり。法界を開くは去の義なり。三諦三観の口決相承と意同じ云云
  一義に云はく、如は実なり去は相なり、実は心王、相は心数なり。又諸法は去なり、実相は如なり。今経の一部の始終諸法実相の四字に習ふとは是なり。釈に云はく「今経は何を以て体とするや。諸法実相を以て体と為す」と。今一重立ち入って日蓮が修行に配当する時、如とは如説修行の如なり。其の故は結要五字の付嘱を宣べ玉ふ時、宝塔品に事起こり、声徹下方し、近令有在遠令有在と云ひて、有在の二字を以て本化迹化の付嘱を宣ぶるなり。仍って本門の密序と習ふなり。さて二仏並座し、分身の諸仏集まって是好良薬の妙法蓮華経を説き顕はし、釈尊十種の神力を現じて四句に結し、上行菩薩に付嘱し玉ふ時、其の付嘱とは妙法の首題なり。総別の付嘱、塔中塔外之を思ふべし。之に依って涌出・寿量に事顕はれ、神力・嘱累に事竟はるなり。此の妙法等の五字を末法白法隠没の時、上行菩薩御出世有って五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏すべしと経文に親り之在り。
 

平成新編御書 ―1795㌻―

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