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テキストデータを検索していて以下の御指南を見かけた。有り難いので抄録しておこう

個々人の~主義は三世における不幸を招来するのみ

第7期 立正安国論
平成07年07月16日
 「汝早く信仰の寸心を改めて」とありますが、寸心というのはわずかな小さい心、一念、一心を言います。人間には、常に思っておることが何かあると思います。その具体的に思っていることは、その人の因縁果報によって千差万別でありますが、自分はこういうことをしたいとか、したくないというふうに思っております。世間では、家族団らんで、事故もなく、なごやかに生活していければよいとだけ思っている人もあると思います。もちろん、皆さん方はもっと高いところを目指していらっしゃるから、そのような考え方の人は、この中にはいないと思いますが、そのようなことを考えていますと、この娑婆世界は忍土ですから、必ずそれに反した色々な災害などが現れてくるのです。  例えば、子供をしっかりしつけて育てているつもりでも、知らないうちに変に曲がってきて、登校拒否になったり、隠れてたばこを吸ってみたりして、親の思うようにはなかなか育ってくれないものです。  このように、自分で「このようである」と思っていても、なかなかうまくいかないものなのです。そのような部分部分の小さな心で思っておることというのは、やはり一つの考え方であり、それは拙い生活への信心なのであります。  大聖人様がこの『立正安国論』で仰せになっておる信仰というのは、文の表現としては法然の『選択集』が一番悪いと仰せであります。しかし、第一問答の客の言葉として、  「或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を悼みて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし」云云(御書 二三四頁) とありますように、当時の人々が信じておった真言、天台、禅等の念仏以外の教えも、この『安国論』では直接的に破折する形はないにせよ、人々を救うことのできる教えではないことを述べられております。  特に今の世間の人々の考え方からいたしますと、色々なものがありましょうが、例えば、自分は権勢を握りたいというような権力中心の考え方があります。もちろん、これも煩悩即菩提という意義からすれば必ずしも誤りと言えないかも知れないが、ただそれだけにとらわれると他人を不幸にし、また、自分をも不幸にすることになるのであります。  それから、お金さえあれば絶対だという金権万能、財力万能という考え方があります。お金があればなんでもできて、本当に幸せになれると思っている人がおります。また、恋愛至上主義、快楽主義ということを考えておる者もあります。  ほかにも、科学というものは絶対に正しいという科学万能の考え方の人もおります。ところが、科学などというものは、人間の智慧においていくら進んでも、絶対にまだ先があるものなのです。これからも科学が進んでいったとしても、科学が妙法を超えることはできないのであります。そのことは、皆さん方にも、よくお考えいただきたいと思います。  また、自分だけ良ければよいという個人主義という考え方や、因果を否定する考え方もあります。  もちろんこれらは、部分観にとらわれているため誤っており、本当のものではありませんが、これらも一種の信仰と言えるのであります。このような小さな考えを、そのまま人生観として持っていると、必ず報いとして不幸な姿が顕れてくるのであります。  ですから、自らを本当に幸せにし、他をも導く力が根本的に大切であり、これのない考え方、思想、信仰は、ことごとく三世における不幸を招来するのでありますから、改めなければならないのであります。  世間の人々の中には、先程のような考えにとらわれている人が多いと思います。こういう人々の考えを打ち破って、正法正義である妙法蓮華経を正しく信受するところに、真の三世にわたる成仏の姿があることを示すべきであります。また、ここに折伏の意義があるのです。
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