HOME本種坊だよりより>202105

 求める信心で功徳倍増 


 あちこちでツバメが巣作りを始めています。親鳥が餌を運んでくると、ヒナたちは、ちょうだいちょうだいと黄色いくちばしを大きく広げてアピールをします。
thanks photAC 可愛くも微笑ましいこのアピール合戦も実際は兄弟間の生存をかけた戦いであります。別の事に気をとられて口をつぐんだままでは親がいくらエサを運んできても食べ太らず、巣立ちできません。
 私達の信心にも同じような事が言えるのではないでしょうか。
 つまり親たる仏様・御本尊様は偏頗なく、如何にしてか私達を成仏の境界を得せしめようと思し召しているのですが、その大慈大悲を受け取る私達の方が求める信心をしていないならば、その果実たる福徳は頂けないことになるのです。ここで、
「そうそう、信心をしようとしない世人のなんと多い事か」
とそこで相づちを打っているあなた、これは他人事ではありません。
 信心が形骸化していませんか。毎日発心していますか。唱題も惰性に流されていませんか。誰もが常に自省すべきことですが、常精進を旨とする信心に頂上や完成形はありません、ひたすら御本仏・大聖人様におすがりする志あるのみです。
 今、信心の源泉である唱題について考えて見ましょう。
 まず御本尊様が有り難い、この上なく尊い仏様なのだと思う気持ちが基本です。その気持ちがあれば、まずお仏壇がホコリを被ったままにはしておけません。お樒が枯れかかったままには出来ません。お水やご飯、御供えを欠かしません。御法主上人の仰る大御本尊様への絶対信、とはまずそういう所からキチンとする事です。
 仏前が清浄になって初めて唱題です。
  1. まず背筋を伸ばす。
    (マッサージ師の方が言うには、背筋は伸びているけれども腰が曲がっている、我々はこれを腰猫背と言う、とのことで)背骨が腰骨の上に乗っかるように、頭頂から糸で引っ張られているように、意識して座ります。
  2. 御本尊様の妙の字を凝視する。
    一心欲見仏不自惜身命とお経にあるように、仏様を見たい拝したい!と求める事が基本姿勢なのです。
  3. しっかりと胸の前で手のひらを合わせる。
    十の指は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の命の相を表しそれが全て胸の内にある、即ち一念三千を事に表した印契・合掌印と言えます。これが崩れるとその義が満足しない事になります。
  4. はっきりと「なんみょうほうれんげきょう」と発声する。
    周囲の人と調子を合わせることも必要です。大聖人様が初めてお題目を唱えられた時を想像してみて下さい。かつて誰も唱え出した事のない「南無妙法蓮華経」を私達は有り難くも唱えさせて頂いているのだ、と考えるとあだおろそかには出来ません。
 以上の4つのポイントを満たした唱題で、初めて御本尊様の広大な功徳・利益に与ることが出来るのであります。
長年唱題に励んでいるのに一向に人生が改善しない、という方はぜひもう一度、確認をしてみて下さい。
 テレビやラジオがついている、スマホの情報着信音が鳴る、など集中できない環境は避けましょう。
 いくら弾を撃っても、的に当たらなければ得点になりません。それと同じように、唱題が御本尊様に届いていない事を疑わなければなりません。
 いっそ勤行の時間は来客があろうが、電話が鳴ろうが、一切無視して全集中!くらいの覚悟を以て臨んだら素晴らしいと思います。
 どこが悪いのか、もう一度再確認し、一遍でも多く御本尊様に届く勤行・唱題をしましょう。

 更には、自宅の御本尊様の本体は大石寺の本門戒壇の大御本尊様であり、いわば仮の出先機関のようなものです。
誠実な信心の視野に立ったならば、本山のお膝元にいるわけですから能う限り御開扉を頂戴することも、一心欲見仏不自惜身命の信仰の表れであります。

 また身命を惜しまぬ信心について言えば、自分の寿命の一部、自分の身を養う筈の金品の一部を御本尊様に御供養申し上げる事で、「自分の命を削っての信心」という事が出来るのです。そのためには、お寺に参詣しましょう。また御供養をしましょう。そして日々発心のために発行書籍を読みましょう。
そうしていけば必ず信心の有り難さが身に溢れ、自ずと他の人をも導く事が、即ち折伏も出来るでしょう。
 御本尊様の前に、ダラダラと座る一時間、真剣に祈る一時間、どうせ同じ一時間を費やすのなら、功徳が頂ける真剣な唱題をしましょう。

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