阿仏房の東拝

千日尼御返事(1475)に

されば故阿仏房の聖霊は今いづくむにかをはすらんと人は疑ふとも、法華経の明鏡をもって其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候。

とあるのはどういうことですか?

との質問を受けた。
これに答えるに、六巻抄当流行事抄P198に、

「謂わく、宝塔西に向く、故に釈尊は右の上座に居し、多宝は左の下座に居するなり。大衆は東に向く、故に上行・無辺行は右の上座に居し、浄行・安立行は左の下座に居す。是れ霊山の儀式を移す故なり。」

とある。
宝塔品で多宝如来が乗って涌現した宝塔は西向きに(東から西を向いて)建っていた。(浮いていた)
それで釈尊は宝塔の内に入り、二仏並座して虚空会が始まる。
ゆえに、大衆は西から東に向かって仏を拝する形と成る。
総本山の五重塔も西を向いて建てられている。
それをイメージすると良いでしょう。

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