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『守護国家論』


(★145㌻)
 当世も亦諸行往生の義を立つ。而も内心には一向に念仏往生の義を存し、外には諸行不謗の由を聞かしむるなり。抑此の義を立つる者は選択集の法華・真言等に於て失を付け、捨閉閣抛・群賊・邪見・悪見・邪雑人・千中無一等の語を見ざるや否や。
  第二に正しく謗法の人の王地に処するを対治すべき証文を出ださば、涅槃経第三に云はく「懈怠にして戒を破し正法を毀る者をば王者・大臣・四部の衆、当に苦治すべし。善男子是の諸の国王及び四部の衆は当に罪有りや不や。不なり、世尊。善男子是の諸の国王及び四部の衆は尚罪有ること無し」と。又第十二に云はく「我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作りて名を仙予と曰ひき。大乗教典を愛念し尊重し、其の心純善にして麁悪・嫉悋有ること無かりき。乃至善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已はりて即時に其の命根を断じき。善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」已上。
  問うて云はく、梵網経の文を見るに比丘等の四衆を誹謗するは波羅夷罪なり。而るに源空が謗法の失を顕はすは豈阿鼻の業に非ずや。答へて云はく、涅槃経の文に云はく「迦葉菩薩世尊に言さく、如来何が故ぞ彼当に阿鼻地獄に堕すべしと記するや。善男子善星比丘は多く眷属有り。皆善星は是阿羅漢なり是道果を得しと謂へり。我彼が悪邪の心を壊らんと欲するが故に、彼の善星は放逸を以ての故に地獄に堕せりと記す」已上。 此の文に放逸とは謗法の名なり。源空も亦彼の善星の如く、謗法を以ての故に無間に堕すべし。所化の衆此の邪義を知らざるが故に源空を以て一切智人と号し、或は勢至菩薩或は善導の化身なりと云ふ。彼が悪邪の心を壊らんが為の故に謗法の根源を顕はす。梵網経の説は謗法の者の外の四衆なり。仏誡めて云はく「謗法の人を見て其の失を顕はさゞれば仏弟子に非ず」と。故に涅槃経に云はく「我涅槃の後其の方面に随ひ持戒の比丘有りて威儀具足し正法を護持せば、法を壊る者を見て即ち能く駈遣し呵責し徴治せよ。当に知るべし、是の人は福を得んこと無量にして称計すべからず」と。
 

平成新編御書 ―145㌻―

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