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『守護国家論』


(★151㌻)
 今法華経に至りて九界の仏界を開くが故に、四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る。此の時此の人の前に始めて仏・菩薩・二乗を立つ。此の時に二乗・菩薩始めて成仏し凡夫始めて往生す。是の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是なり。常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども、自義に於ては猶当分の得道を許さず。然りと雖も此の書に於ては其の義を尽さず、略して之を記す。追って之を記すべし。
  大文の第六に法華・涅槃に依る行者の用心を明かさば、一代教門の勝劣・浅深・難易等に於ては先の段に既に之を出だす。此の一段に於ては一向に後世を念ふ末代常没の五逆・謗法・一闡提等の愚人の為に之を注す。略して三有り。一には在家の諸人正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依って三悪道に堕することを明かし、二には但法華経の名字計りを唱へて三悪道を離るべきことを明かし、三には涅槃経は法華経の為の流通と成ることを明かす。
  第一に在家の諸人正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依って三悪道に堕することを明かさば、涅槃経第三に云はく「仏迦葉に告げ給はく、能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛の身を成就することを得たり」と。亦云はく「時に国王有り、名を有徳と曰ふ。乃至法を護らんが為の故に、乃至是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。乃至王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大に歓喜し尋いで即ち命終して阿閦仏の国に生ず」已上。 此の文の如くんば在家の諸人別の智行無しと雖も、謗法の者を対治する功徳に依って生死を離るべきなり。問うて云はく、在家の諸人仏法を護持すべき様如何。答へて曰く、涅槃経に云はく「若し衆生有って財物に貪著せば、我当に財を施して然して後に是の大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。乃至先に愛語を以て而も其の意に随ひ、然して後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。
 

平成新編御書 ―151㌻―

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