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『立正安国論』


(★240㌻)
 又云はく「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし」「当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還って定散の門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり」と。又云はく「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文、観無量寿経に云はく、同経の疏に云はく、問ふて曰く、若し解行の不同邪雑の人等有りて外邪異見の難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり」已上。又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。
  之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建て、法華・真言総じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢に容りて並びに直道を忘る。悲しいかな瞳矇を(樹-木+手)たず。痛ましいかな徒に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に仏無しと謂へり。
  仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波濤を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓に華界を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てゝ以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、
 

平成新編御書 ―240㌻―

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