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『立正安国論』


(★246㌻)
 歓喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の未、爾の時に一の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王名を有徳と曰ふ。是の事を聞き已はって、護法の為の故に、即便説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るゝことを得たり。王爾の時に於て身に刀剣箭槊の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿閦仏の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提の心を退せず、命終して悉く阿閦仏の国に生ず。覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿閦仏の国に往生することを得て、而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。説法の比丘は迦葉仏是なり。迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種々の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に護法の優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん。是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴す。刀杖を持つと雖も我是等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」と。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。
 

平成新編御書 ―246㌻―

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