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『四恩抄』


(★265㌻)後
 五逆・誹謗賢聖・不孝父母・不敬沙門等の科の衆生が、三悪道に堕ちて無量劫を経て、還って此の世界に生まれて候が、先生の悪業の習気失せずして、やゝもすれば十悪・五逆を作り、賢聖をのり、父母に孝せず、沙門をも敬はず候なり。故に釈迦如来世に出でましませしかば、或は毒薬を食に雑へて奉り、或は刀杖・悪象・師子・悪牛・悪狗等の方便を以て害し奉らんとし、或は女人を犯すと云ひ、或は卑賤の者、或は殺生の者と云ひ、或は行き合ひ奉る時は面を覆ふて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓を塞ぎ、或は国王大臣の諸人に向かっては、邪見の者なり、高き人を罵者なんど申せしなり。大集経・涅槃経等に見えたり。
  させる失も仏にはおはしまさゞりしかども、只此の国のくせ・かたわとして、悪業の衆生が生まれ集りて候上、第六天の魔王が此の国の衆生を他の浄土へ出さじと、たばかりを成して、かく事にふれてひがめる事をなすなり。此のたばかりも詮ずる所は仏に法華経を説かせまいらせじ科と見えて候。其の故は魔王の習ひとして、三悪道の業を作る者をば悦び、三善道の業を作る者をばなげく。又三善道の業を作る者をばいたうなげかず、三乗とならんとする者をばいたうなげく。又、三乗となる者をばいたうなげかず、仏となる業をなす者をば強ちになげき、事にふれて障りをなす。法華経は一文一句なれども耳にふるゝ者は既に仏になるべきと思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思ふ故に方便をまはして留難をなし、経を信ずる心をすてしめんとたばかる。 而るに仏の在世の時は濁世なりといへども、五濁の始めたりし上、仏の御力をも恐れ、人の貪・瞋・癡・邪見も強盛ならざりし時だにも、竹杖外道は神通第一の目連尊者を殺し、阿闍世王は悪象を放ちて三界の独尊ををどし奉り、提婆達多は証果の阿羅漢蓮華比丘尼を害し、瞿伽利尊者は智慧第一の舎利弗に悪名を立てき。何に況んや世漸く五濁の盛んになりて候をや。況んや世末代に入りて法華経をかりそめにも信ぜん者の人にそねみねたまれん事はおびたゞしかるべきか。故に法華経に云はく「如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」云云。
 

平成新編御書 ―265㌻―

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