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『教機時国抄』


(★272㌻)
 法華経に勝れる経之有りと云はん者を諫暁せよ、止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等云云。此等の相違を能く能く之を弁へたる者は教を知れる者なり。当世の千万の学者等一々之に迷へるか。若し爾らば教を知れる者之少なきか。教を知れる者之無ければ法華経を読む者之無し。法華経を読む者之無ければ国師となる者無きなり。国師となる者無ければ国中の諸人一切経の大小権実顕密の差別に迷ふて、一人に於ても生死を離るゝ者之無く、結句は謗法の者と成り、法に依って阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く、法に依って生死を離るゝ者は爪上の土よりも少なし。恐るべし恐るべし。
  日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法華経の機なり。例せば霊山八箇年の純円の機なるが如し。 天台大師・聖徳太子・鑑真和尚・根本大師・安然和尚・慧心等の記に之有り 是機を知れる者なり。而るに当世の学者の云はく、日本国は一向に称名念仏の機なり等云云。例せば舎利弗の機に迷ふて所化の衆を一闡提と成せしが如し。
  日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。是時を知るなり。而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ、或は小乗の戒律を教へて叡山の大僧を蔑み、或は教外を立てゝ法華の正法を軽しむ。此等は時に迷へる者か。例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ、徳光論師が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大苦を招きしが如し。
  日本国は一向に法華経の国なり。例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如きなり。又天竺には一向に小乗の国、一向に大乗の国、大小兼学の国も之有り。日本国は一向に大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。 瑜伽論・肇公記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記に之有り 是国を知れる者なり。而るに当世の学者日本国の衆生に一向に小乗の戒律を授け、一向に念仏者等と成すは、譬へば宝器に穢食を入れたるが如し等と云云。 宝器の譬は伝教大師の守護章に在り。
  日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより、桓武天皇に至るまで二百四十余年の間此の国に小乗権大乗のみ弘め、
 

平成新編御書 ―272㌻―

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