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『教機時国抄』


(★273㌻)
 法華経有りと雖も其の義未だ顕はれず。例せば震旦国に法華経渡って三百余年の間、法華経有りと雖も其の義未だ顕はれざりしが如し。桓武天皇の御宇に伝教大師有して、小乗権大乗の義を破して法華経の実義を顕はせしより已来、又異義無く純一に法華経を信ず。設ひ華厳・般若・深密・阿含の大小の六宗を学する者も法華経を以て所詮と為す。況んや天台真言の学者をや。何に況んや在家の無智の者をや。例せば崑崙山に石無く蓬莱山に毒無きが如し。建仁より已来今に五十余年の間、大日・仏陀、禅宗を弘め、法然・隆寛浄土宗を興し、実大乗を破して権宗に付き、一切経を捨てゝ教外を立つ。譬へば珠を捨てゝ石を取り地を離れて空に登るが如し。此は教法流布の先後を知らざる者なり。仏誡めて云はく「悪象に値ふとも悪知識に値はざれ」等云云。
  法華経の勧持品に、後五百歳二千余年に当たって法華経の敵人三類有るべしと記し置きたまへり。当世は後五百歳に当たれり。日蓮仏語の実否を勘ふるに三類の敵人之有り。之を隠さば法華経の行者に非ず、之を顕はさば身命定めて喪はんか。法華経第四に云はく・「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」等云云。同第五に云はく・「一切世間怨多くして信じ難し」と。又云はく「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」と。同第六に云はく・「自ら身命を惜まず」云云。涅槃経第九に云はく「譬へば王使の善能談論し、方便に巧みなる、命を他国に奉け寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さゞるが如し。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまずして要必大乗方等を宣説すべし」云云。章安大師釈して云はく「寧ろ身命を喪ふとも教を匿さずとは、身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ」云云。此等の本文を見れば三類の敵人を顕はさずんば法華経の行者に非ず。之を顕はすは法華経の行者なり。而れども必ず身命を喪はんか。例せば獅子尊者・提婆菩薩等の如くならん云云。
  二月十日                          日蓮花押
 

平成新編御書 ―273㌻―

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