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『法華真言勝劣事』


(★311㌻)
 相違如何。答へて云はく、天台・妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之有るべからず。若し法華経に勝れたる経之有りといはゞ一宗の宗義之を壊るべきの由之を存す。若し大日経法華経に勝るといはゞ、天台・妙楽の宗義忽ちに破るべきか。問うて云はく、天台・妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや。答へて云はく、之有り。法華経法師品に云はく「我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等云云。此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経最第一なり。難じて云はく、真言師の云はく、法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり。大日経は大日如来所説の経なりと。答へて云はく、釈迦如来より外に大日如来閻浮提に於て八相成道して大日経を説けるか。是一 。六波羅蜜経に云はく「過去現在並びに釈迦牟尼仏の所説の諸経を分かちて五蔵と為し、其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なり」と。真言の経、釈迦如来の所説に非ずといはゞ経文に違す 是二。
 「我が所説の経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の説なり。大日如来の証明は分身の諸仏広長舌相の経文なり 是三。 五仏の章、尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給ふ。 是四。 「要を以て之を言はゞ如来一切所有の法、乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等云云。此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、大日如来十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり。此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之有りと云はゞ信用すべからず。 是五。 大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之無し 是六。仏より外の天竺・震旦・日本国の論師人師の中に天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之無し。若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し。性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身・不動愛染等の降伏の形・十界の曼荼羅・三十七尊等、本無今有の外道の法に同じきか 是七。 問うて云はく、七義の中一々難勢之有り。然りと雖も六義は且く之を置く。第七の義如何。
 

平成新編御書 ―311㌻―

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