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『法華真言勝劣事』


(★310㌻)
 問うて云はく、華厳宗の義に云はく、華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす。天台宗は之を許さず。宗論は且く之を置く。人師を捨てゝ本経を存せば華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文之有りと雖も実には之無し。之を以て之を思ふに、義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何。答へて云はく、華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか。私に云はく、二乗作仏無くんば四弘誓願満足すべからず。四弘誓願満ぜずんば又別願も満ずべからず。総別の二願満ぜずんば衆生の成仏も有り難きか。能く能く意得可し云云。問うて云はく、大日経の疏に云はく「大日如来は無始無終なり」と。遥に五百塵点に勝れたり如何。答ふ、毘盧遮那の無始無終なる事、華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之を説く。独り大日経のみに非ず。問うて云はく、若し爾らば五百塵点は際限有れば有始有終なり。無始無終は際限無し。然れば則ち法華経は諸経に破せらるゝか如何。答へて云はく、他宗の人は此の義を存す。天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか。今大日経並びに諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり。三身の無始無終に非ず。法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破したる五百塵点なり。大日経等の諸大乗経には全く此の義無し。宝塔の涌現・地涌の涌出・弥勒の疑ひ・寿量品の初めの三誡四請、弥勒菩薩領解の文に「仏希有の法を説きたまふ。昔より今だ曽て聞かざる所なり」等の文是なり。大日経六巻並びに供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請・三戒四請・二乗の劫国名号・難信難解等の文を見ず。問うて云はく、五乗の真言如何。答ふ、未だ二乗の真言を知らず。四諦十二因縁の梵語のみ有るなり。又法身平等に会すること有らんや。問うて云はく、慈覚・智証等理同事勝の義を存す。争でか此等の大師等に過ぎんや。答へて云はく、人を見以て人を難ずるは仏の誡めなり。何ぞ汝仏の制誡に違背するや。但経文を以て勝劣の義を存すべし。難じて云はく、末学の身として祖師の言に背かば之を難ぜざらんや。答ふ、末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証・慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや。問うて云はく、
 

平成新編御書 ―310㌻―

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