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『上野殿後家尼御返事』


(★337㌻)
 法華経の第二に云はく「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。故聖霊は此の苦をまぬかれ給ふ。すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。経に云はく「設ひ大火に入るとも火も焼くこと能はじ、若し大水に漂はされんに其の名号を称せば即ち浅き処を得ん」と。又云はく「火も焼くこと能はず水も漂はすこと能はず」云云。あらたのもしやたのもしや。
  詮ずるところ、地獄を外にもとめ、獄卒の鉄杖、阿防羅刹のかしゃくのこゑ別にこれなし。此の法門ゆゝしき大事なれども、尼にたいしまいらせておしへまいらせん。例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給ひしがごとし。これをきかせ給ひて後はいよいよ信心をいたさせ給へ。法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり。天台云はく「従藍而青」云云。此の釈の心はあいは葉のときよりも、なをそむればいよいよあをし。法華経はあいのごとし。修行のふかきはいよいよあをきがごとし。地獄と云ふ二字をば、つちをほるとよめり。人の死する時つちをほらぬもの候べきか。これを地獄と云ふ。死人をやく火は無間の火炎なり。妻子眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり。妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり。二尺五寸の杖は鉄杖なり。馬は馬頭、牛は牛頭なり。穴は無間大城、八万四千のかまは八万四千の塵労門、家をきりいづるは死出の山、孝子の河のほとりにたゝずむは三途の愛河なり。別に求むる事はかなしはかなし。此の法華経をたもちたてまつる人は此をうちかへし、地獄は寂光土、火焔は報身如来の智火、死人は法身如来、火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海、死出の山は煩悩即菩提の重山なり。かく御心得させ給へ。即身成仏とも開仏知見とも、これをさとりこれをひらくを申すなり。提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外には候はず。逆即是順の法華経なればなり。これ妙の一字の功徳なり。
 

平成新編御書 ―337㌻―

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