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『上野殿後家尼御返事』


(★336㌻)
 
 №0050 上野殿後家尼御返事    (文永二年七月一一日  四四歳)
 
  御供養の物種々給び畢んぬ。抑上野殿死去の後はをとづれ冥途より候やらん、きかまほしくをぼへ候。たゞしあるべしともおぼへず。もし夢にあらずんばすがたをみる事よもあらじ。まぼろしにあらずんばみゝえ給ふ事いかゞ候はん。さだめて霊山浄土にてさばの事をば、ちうやにきゝ御覧じ候らむ。妻子等は肉眼なればみさせきかせ給ふ事なし。ついには一所とをぼしめせ。生々世々の間ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりもをゝくこそをはしまし候ひけん。今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこよ。そのゆへは、をとこのすゝめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給ふべし。いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり。法華経第四に云はく「若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云。
  夫浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ。これをさとるは法華経なり。もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるゝならば、たゞいつも地獄なるべし。此の事日蓮が申すにはあらず、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給ひしなり。されば権教を修行する人は、火にやくるもの又火の中へいり、水にしづむものなをふちのそこへ入るがごとし。法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ、阿弥陀経・大日経等を信じ給ふは、なを火より火の中、水より水のそこへ入るがごとし。いかでか苦患をまぬかるべきや。等活・黒縄・無間地獄の火坑、紅蓮・大紅蓮の氷の底に入りしづみ給はん事疑ひなかるべし。
 

平成新編御書 ―336㌻―

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