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『聖愚問答抄㊤』


(★386㌻)
  愚人云はく、願はくば我聞かんと思ふ。非人云はく、実に其の志深くば壁に向かひ坐禅して本心の月を澄ましめよ。爰を以て西天には二十八祖系乱れず、東土には六祖の相伝明白なり。汝是を悟らずして教網にかゝる、不便不便。是心即仏、即心是仏なれば此の身の外に更に何くにか仏あらんや。
  愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ、閑かに義理を案じて云はく、仏教万差にして理非明らめ難し。宜なるかな、常啼は東に請ひ善財は南に求め、薬王は臂を焼き楽法は皮を剥ぐ。善知識実に値ひ難し。或は教内と談じ、或は教外と云ふ。此のことはりを思ふに未だ淵底を究めず、法水に臨む者は深淵の思ひを懐き、人師を見る族は薄氷の心を成せり。爰を以て金言には依法不依人と定め、又爪上の土の譬へあり。若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし、求めて崇むべし。夫人界に生を受くるを天上の糸にたとへ、仏法の視聴は浮木の穴に類せり。身を軽くして法を重くすべしと思ふに依って衆山に攀ぢ、歎きに引かれて諸寺を回る。足に任せて一つの厳窟に至るに、後ろには青山峨々として松風常楽我浄を奏し、前には碧水湯々として岸うつ波四徳波羅蜜を響かす。深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕はし、広野に綻ぶる梅も界如三千の薫りを添ふ。言語道断・心行所滅せり。謂ひつべし商山の四皓の所居とも、又知らず古仏経行の迹なるか。景雲朝に立ち霊光夕に現ず。鳴呼心を以て計るべからず、詞を以て宣ぶべからず。予此の砌に沈吟とさまよひ、彷徨とたちもとをり、徙倚とたゝずむ。此の処に忽然として一の聖人坐す。其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて、閑窓の戸ぼそを伺へば玄義の床に臂をくたす。爰に聖人、予が求法の志を酌み知りて、詞を和らげ予に問うて云はく、汝なにゝ依って此の深山の窟に至れるや。予答へて云はく、生をかろくして法をおもくする者なり。聖人問うて云はく、其の行法如何。予答へて云はく、本より我は俗塵に交はりて未だ出離を弁へず。適善知識に値ひて始めには律、次には念仏・真言並びに禅、此等を聞くといへども未だ真偽を弁へず。聖人云はく、汝が詞を聞くに実に以て然なり。
 

平成新編御書 ―386㌻―

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