←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『聖愚問答抄㊤』


(★392㌻)
 十住心論十巻之を造る。此の書広博なる間、要を取って三巻に之を縮め、其の名を秘蔵宝鑰と号す。始め異生羝羊心より終はり秘密荘厳心に至るまで十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てゝ、法華は華厳にも劣れば大日経には三重の劣と判じて「此くの如きの乗々は自乗に仏の名を得れども、後に望めば戯論と作る」と書いて、法華経は狂言綺語と云ひ、釈尊をば無明に迷へる仏と下せり。仍って伝法院を建立せし弘法の弟子正覚房は「法華経は大日経のはきものとりに及ばず、釈迦仏は大日如来の牛飼ひにも足らず」と書けり。汝心を静めて聞け、一代五千七千の経教、外典三千余巻にも、法華経は戯論三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷へる仏にて、大日如来の牛飼ひにも足らずと云ふ慥かなる文ありや。設ひさる文有りと云ふとも能く能く思案有るべきか。経教は西天より東土に洎ぼす時、訳者の意楽に随って経論の文不定なり。さて後秦の羅什三蔵は、我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり。我が訳する所の経若し誤りなくば、我死して後、身は不浄なれば焼くると云ふとも、舌計りは焼けざらんと常に説法し給ひしに、焼き奉る時御身は皆骨となるといへども、御舌計りは青蓮華の上に光明を放って、日輪を映奪し給ひき、有り難き事なり。さてこそ殊更彼の三蔵所釈の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給ひしか。然れば延暦寺の根本大師、諸宗を責め給ひしには、法華を訳する三蔵は舌の焼けざる験あり。汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是なり。涅槃経にも「我が仏法は他国へ移らん時誤り多かるべし」と説き給へば、経文に設ひ法華経はいたずら事、釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも、権教実教・大乗小乗・説時前後、訳者能く能く尋ぬべし。所謂老子・孔子は九思一言・三思一言、周公旦は食するに三度吐き、沐するに三度にぎる。外典のあさましき猶是くの如し、況んや内典の深義を習はん人をや。其の上此の義経論に迹形もなし。人を毀り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈なり。必ず地獄に堕ちんこと疑ひ無き者なり。
 
 
 

平成新編御書 ―392㌻―

provided by