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『聖愚問答抄㊤』


(★402㌻)
 摩尼は空しく名のみ聞く、麟鳳誰か実を見たるや。世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少なり。汝只正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。
  爰に愚人席をさり袂をかいつくろひて云はく、誠に聖教の理をきくに、人身は得難く、天上の糸筋の海底の針に貫けるよりも希に、仏法は聞き難くして、一眼の亀の浮木に遇ふよりも難し。今既に得難き人界に生をうけ、値ひ難き仏教を見聞しつ、今生をもだしては又何れの世にか生死を離れ菩提を証すべき。夫一劫受生の骨は山よりも高けれども、仏法の為にはいまだ一骨をもすてず。多生恩愛の涙は海よりも深けれども、尚後生の為には一滴をも落さず。拙きが中に拙く愚かなるが中に愚かなり。設ひ命をすて身をやぶるとも、生を軽くして仏道に入り、父母の菩提を資け、愚身が獄縛をも免るべし。能く能く教を示し給え。抑法華経を信ずる其の行相如何。五種の行の中には先づ何れの行をか修すべき。丁寧に尊教を聞かんことを願ふ。聖人示して云はく、汝蘭室の友に交はりて麻畝の性と成る。誠に禿樹禿に非ず春に遇ふて栄え華さく。枯草枯るに非ず夏に入りて鮮かに注ふ。若し先非を悔ひて正理に入らば、湛寂の潭に遊泳して無為の宮に優遊せん事疑ひなかるべし。抑仏法を弘通し群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・
 

平成新編御書 ―402㌻―

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