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『聖愚問答抄㊤』


(★403㌻)
 涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。譬へば文武両道を以て天下を治むるに、武を先とすべき時もあり、文を旨とすべき時もあり。天下無為にして国土静かならん時は文を先とすべし。東夷・南蛮・西戎・北狄蜂起して、野心をさしはさまんには武を先とすべきなり。文武のよき事計りを心えて時もしらず、万邦安堵の思ひをなして世間無為ならん時、甲冑をよろひ、兵杖をもたん事も非なり。又王敵起こらん時、戦場にして武具をば閣いて、筆硯を提ん事、是も亦時に相応せず。摂受折伏の法門も亦是くの如し。正法のみ弘まて邪法邪師無からん時は、深谷にも入り、閑静にも居して、読誦書写をもし、観念工夫をも凝らすべし。是天下の静なる時筆硯を用ゆるが如し。権宗謗法国にあらん時は、諸事を閣いて謗法を責むべし。是合戦の場に兵杖を用ゆるが如し。然れば章安大師涅槃の疏に釈して云はく「昔は時平かにして法弘まる、戒を持すべし杖を持すること勿れ。今は時嶮しくして法翳る。杖を持すべし戒を持すること勿れ。今昔倶に嶮しくば倶に杖を持すべし、今昔倶に平かならば倶に戒を持すべし。取捨宜きを得て一向にすべからず」と此の釈の意分明なり。昔は世もすなおに人もたゞしくして邪法邪義無かりき。されば威儀をたゞし、穏便に行業を積みて、杖をもて人を責めず、邪法をとがむる事無かりき。今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし。然るを浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、剰へ千中無一とて千人信ずとも一人得道の者あるべからずと書けり。真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣り、大日経には三重の劣と書き、戯論の法と定めたり。正覚房は法華経は大日経のはきものとりにも及ばずと云ひ、釈尊をば大日如来の牛飼ひにもたらずと判ぜり。
 

平成新編御書 ―403㌻―

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