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『法門申さるべき様の事』


(★429㌻)
 四重五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土、四重五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土」なんどととかれて候。末代には五逆の者と謗法の者は十方世界の土のごとしとみへぬ。されども当時五逆罪つくる者は爪の上の土、作らざる者は十方世界の土程候へば、経文そらごとなるやうにみへ候を、くはしくかんがへみ候へば、不孝の者を五逆罪の者とは申し候か、又相似の五逆と申す事も候。さるならば前王の正法実法を弘めさせ給へと候を、今の王の権法相似の法を尊んで天子本命の道場たる正法の御寺の御帰依うすくして、権法邪法の寺の国々に多くいできたれるは、愚者の眼には仏法繁盛とみへて、仏天智者の御眼には古き正法の寺々やうやくうせ候へば、一には不孝なるべし、賢なる父母の氏寺をすつるゆへ、二には謗法なるべし。若ししからば日本国当世は、国一同に不孝謗法の国なるべし。
  此の国は釈迦如来の御所領、仏の左右の臣下たる大梵天王・第六天の魔王にたばせ給ひて、大海の死骸をとゞめざるがごとく、宝山の曲林をいとうがごとく、此の国の謗法をかへんとをぼすかと勘へ申すなりと申せ。
  此の上「捨てられて候四十余年の経々の今に候はいかに」なんど、俗難せば返詰して申すべし、塔をくむあししろは塔をくみあげては切りすつるなりなんど申すべし。此の譬へは玄義の第二の文に「今の大教若し起これば方便の教絶す」と申す釈の心なり。妙と申すは絶という事、絶と申す事は此の経起これば已前の経々を断ち止むると申す事なるべし。正直捨方便の捨の文字の心、又嘉祥の、日出でぬるは星かくるの心なるべし。但し爾前の経々は塔のあししろなれば切りすつるとも、又塔をすりせん時は用ゆべし。又切りすつべし。三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。
 

平成新編御書 ―429㌻―

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