←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『開目抄㊤』


(★524㌻)
 沛公は帝となって太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。此等は孝の手本なり。比干は殷の世のほろぶべきを見て、しゐて帝をいさめ頭をはねらる。公演といゐし者は懿公の肝をとって、我が腹をさき、肝を入れて死しぬ。此等は忠の手本なり。尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。此等を四聖とがうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいでず。三玄とは、一には有の玄、周公等此を立つ。二には無の玄、老子等。三には亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄とは黒なり。父母未生已前をたづぬれば、或は元気より生ず。或は貴賤・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。
  かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去・未来を一分もしらず。玄とは、黒なり、幽なり。かるがゆへに玄という。但現在計りしれるににたり。現在にをひて仁義を制して身をまぼり、国を安んず。此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう。此等の賢聖の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫の背をみず、未来をかゞみざること盲人の前をみざるがごとし。但現在に家を治め、孝をいたし、堅く五常を行ずれば傍輩もうやまい、名も国にきこえ、賢王もこれを召して或は臣となし、或は師とたのみ、或は位をゆづり、天も来たって守りつかう。所謂周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿来たって二十八将となりし此なり。而りといえども、過去・未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子が此の土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此聖人なりといゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教へて、内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため、王臣を教へて尊卑をさだめ、父母を教へて孝の高きことをしらしめ、師匠を教へて帰依をしらしむ。妙楽大師云はく「仏教の流化実に茲に頼る。礼楽前に駆せて真道後に啓く」等云云。天台云はく「金光明経に云はく、一切世間所有の善論皆此の経に因る。
 

平成新編御書 ―524㌻―

provided by