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『開目抄㊤』


(★525㌻)
 若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」等云云。止観に云はく「我れ三聖を遣はして彼の真丹を化す」等云云。弘決に云はく「清浄法行経に云はく、月光菩薩彼に顔回と称し、光浄菩薩彼に仲尼と称し、迦葉菩薩彼に老子と称す。天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。
  二には月氏の外道、三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天、此の二天をば一切衆生の慈父非母、又天尊主君と号す。迦毘羅・漚樓僧佉・勒娑婆、此の三人をば三仙となづく。此等は仏前八百年、已前已後の仙人なり。此の三仙の所説を四韋陀と号す、六万蔵あり。乃至仏出世に当たって、六師外道、此の外経を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。一々に流々多くして、我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。其の見の深きこと巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。或は過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼ねて未来八万劫をしる。其の所説の法門の極理は、或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有果亦無果等云云。此外道の極理なり。所謂善き外道は五戒・十善戒等を持ちて、有漏の禅定を修し、上、色・無色をきわめ、上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返って三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。而れども天を極むる者は永くかへらずとをもえり。各々自師の義をうけて堅く執するゆへに、或は冬寒に一日に三度恒河に浴し、或は髪をぬき、或は巌に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処をやく、或は裸形、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼す。此等の邪義其の数をしらず。師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかへては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかへては順次生に悪道に堕つ。外道の所詮は内道に入る即ち最要なり。或外道云はく「千年已後仏出世す」等云云。或外道云はく「百年已後仏出世す」等云云。大涅槃経に云はく「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」等云云。
 

平成新編御書 ―525㌻―

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