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『開目抄㊤』


(★540㌻)
 三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云。東春に云はく「問ふ、在世の時許多の怨嫉あり。仏滅度の後、此の経を説く時、何が故ぞ亦留難多きや。答へて云はく、俗の良薬口に苦しと言ふが如く、此の経は五乗の異執を廃して、一極の玄宗を立つるが故に、凡を斥け聖を呵し、大を排ひ小を破り、天魔を銘じて毒虫と為し、外道を説いて悪鬼と為し、執小を貶って貧賤と為し、菩薩を挫めて新学と為す。故に天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆らひ、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。此くの如きの徒、悉く留難を為す。多怨嫉の言豈虚しからんや」等云云。顕戒論に云はく「僧統奏して曰く、西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く、禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す等云云。論じて曰く、昔は斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな法華の何況するをや」等云云。秀句に云はく「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば則ち唐の東、羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後と。此の言、良に以有るなり」等云云。夫、小児に灸治を加ふれば、必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば、定んで口に苦しとうれう。在世猶しかり、乃至像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたゝみ、難に難を加へ、非に非をますべし。像法の中には天台一人、法華経一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳随二代の聖主、眼前に是非を明らめしかば敵ついに尽きぬ。像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説のごとく読み給へり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武乃至嵯峨等の賢主、我と明らめ給ひしかば又事なし。今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに、非理を前として、濁世のしるしに、召し合はせられずして、流罪乃至寿にもおよばんとするなり。
  されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。定んで天の御計らひにもあづかるべしと存ずれども、一分のしるしもなし。いよいよ重科に沈む。
 

平成新編御書 ―540㌻―

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