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『開目抄㊤』


(★539㌻)
 師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は、退転すべくば一度に思ひ止むべしと且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。我等程の小力の者、須弥山はなぐとも、我等程の無通の者、乾草を負ふて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者、恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるゝはこれなるべし。今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ。
  既に二十余年が間此の法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず、大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ。其の上、弟子といゐ檀那といゐ、わづかの聴聞の俗人なんど来たって重科に行なはる。謀反なんどの者のごとし。法華経の第四に云はく「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」等云云。第二に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん」等云云。第五に云はく「一切世間、怨多くして信じ難し」等云云。又云はく「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等。又云はく「国王大臣婆羅門居士に向かって、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人なりと謂はん」と。又云はく「数々擯出せられん」等云云。又云はく「杖木瓦石をもて之を打擲せん」等云云。涅槃経に云はく「爾の時に多く無量の外道有って、和合して共に摩訶陀国の王、阿闍世の所に往く○今は唯、一の大悪人有り、瞿曇沙門なり○一切世間の悪人、利養の為の故に、其の所に往集して眷属と為って、能く善を修せず。呪術の力の故に、迦葉及び舎利弗、目・連を調伏す」等云云。天台云はく「何に況んや未来をや。理、化し難きに在るなり」等云云。妙楽云はく「障り未だ除かざる者を怨と為し、聞くことを喜ばざる者を嫉と名づく」等云云。南三北七の十師、漢土無量の学者、天台を怨敵とす。得一云はく「拙いかな智公、汝は是誰が弟子ぞ。
 

平成新編御書 ―539㌻―

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