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『開目抄㊤』


(★562㌻)
 巻をへだて文前後すれば、教門の色弁へがたければ、文を出だして愚者を扶けんとをもう。王に小王・大王、一切に少分・全分、五乳に全喩・分喩ゆを弁ふべし。六波羅蜜経は有情の成仏あって、無性の成仏なし。何に況んや久遠実成をあかさず。猶涅槃経の五味にをよばず、何に況んや法華経の迹門本門にたいすべしや。而るに日本の弘法大師、此の経文にまどひ給ひて、法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり。第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばず、いかにし給ひけるやらん。而るを「震旦の人師諍って醍醐を盗む」と、天台等を盗人とかき給へり。「惜しいかな古賢醍醐を嘗めず」等と自歎せられたり。
  此等はさてをく。我が一門の者のためにしるす。他人は信ぜざれば逆縁なるべし。一渧をなめて大海のしををしり、一華を見て春を推せよ。万里をわたって宋に入らずとも、三箇年を経て霊山にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも、二処三会に値はずとも、一代の勝劣はこれをしれるなるべし。蛇は七日が内の洪水をしる、竜の眷属なるゆへ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師なりしゆへ。鳥は飛ぶ徳、人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆへなり。彼の人々は天台・伝教に帰せさせ給はずは、謗法の失、脱れさせ給ふべしや。当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつる。名をば後代に留むべし。大海の主となれば、諸の河神皆したがう。須弥山の王に諸の山神したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁ふれば一切経よまざるにしたがうべし。
  宝塔品の三箇の勅宣の上に、提婆品に二箇の諫暁あり。提婆達多は一闡提なり、天王如来と記せらる。涅槃経四十巻の現証は此の品にあり。善星・阿闍世等の無量の五逆謗法の者、一をあげ頭をあげ、万ををさめ枝をしたがふ。一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらはれ了んぬ。毒薬変じて甘露となる。衆味にすぐれたり。
 

平成新編御書 ―562㌻―

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