←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『開目抄㊤』


(★568㌻)
 「我涅槃の後○像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少かに経典を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養す。袈裟を服すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと○外には賢善を現はし、内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。妙楽云はく「第三最も甚だし。後々の者転識り難きを以ての故に」等云云。東春云はく「第三に或有阿練若より下の三偈は、即ち是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云。東春に「即是出家処摂一切悪人」等とは、当世日本国には何れの処ぞや。叡山か園城か東寺か南都か、建仁寺か寿福寺か建長寺か、よくよくたづぬべし。延暦寺の出家の頭に、甲胄をよろうをさすべきか。園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか。彼等は経文に「納衣在空閑」と指すにはにず。「為世所恭敬如六通羅漢」と人をもはず。又「転難識故」というべしや。華洛には聖一等、鎌倉には良観等ににたり。人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我が身をあわせよ。止観の第一に云はく「止観の明静なることは前代未だ聞かず」等云云。弘の一に云はく「漢の明帝夜夢みしより陳朝に洎ぶまで、禅門に預かり厠りて衣鉢伝授する者」等云云。補注に云はく「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云。止の五に云はく「又一種の禅人、乃至、盲跛の師徒、二倶に堕落す」等云云。止の七に云はく「九の意、世間の文字の法師と共ならず、亦事相の禅師と共ならず。一種の禅師は唯観心の一意のみ有り。或は浅く或は偽る。余の九は全く無し。此虚言に非ず。後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」と。弘の七に云はく「文字法師とは、内に観解無くして唯法相を構ふ。事相の禅師とは、境智を閑はず鼻膈に心を止む。乃至根本有漏定等なり。一師唯観心の一意のみ有る等とは、此は且く与へて論を為す。奪ふ則んば、観解倶に欠く。世間の禅人偏に理観を尚ぶ、既に教を諳んぜず。観を以て経を消し、八邪・八風を数へて丈六の仏と為し、五陰三毒を合はして名づけて八邪と為し、六入を用ひて六通と為し、四大を以つて四諦と為す。此くの如く経を解するは、
 

平成新編御書 ―568㌻―

provided by