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『佐渡御書』


(★578㌻)後
 №0115 佐渡御書 文永九年三月二〇日  五一歳
 
 
  世間に人の恐るゝ者は、火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜しむ、況んや人身をや。癩人猶命を惜しむ、何に況んや壮人をや。仏説いて云はく「七宝を以て三千大千世界に布き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」取意。雪山童子の身をなげし、楽法梵志が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし。又主君の為に命を捨つる人は、すくなきようなれども其の数多し。男子ははじに命を捨て、女人は男の為に命をすつ。魚は命を惜しむ故に、池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑにばかされて釣をのむ。鳥は木にすむ。木のひきゝ事をおじて木の上枝にすむ。しかれどもゑにばかされて網にかゝる。人も又是くの如し。世間の浅き事には身命を失へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。故に仏になる人もなかるべし。
  仏法は摂受・折伏時によるべし。譬へば世間の文武二道の如し。されば昔の大聖は時によりて法を行ず。
 

平成新編御書 ―578㌻―

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