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『佐渡御書』


(★580㌻)
 去年九月十二日御勘気を蒙りし時、大音声を放ちてよばはりし事これなるべし。纔かに六十日乃至百五十日に此の事起こるか。是は華報なるべし。実果の成ぜん時いかゞなげかはしからんずらん。
  世間の愚者の思ひに云はく、日蓮智者ならば何ぞ王難に値ふやなんど申す。日蓮兼ねての存知なり。父母を打つ子あり、阿闍世王なり。仏・阿羅漢を殺し血を出だす者あり、提婆達多是なり。六臣これをほめ、瞿伽利等これを悦ぶ。日蓮当世には此の御一門の父母なり。仏・阿羅漢の如し。然るを流罪して主従共に悦びぬる、あはれに無慚なる者なり。謗法の法師等が自ら禍の既に顕はるゝを歎きしが、かくなるを一旦は悦ぶなるべし。後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず。例せば泰衡がせうとを討ち、九郎判官を討ちて悦びしが如し。既に一門を亡ぼす大鬼の此の国に入るなるべし。法華経に云はく「悪鬼入其身」是なり。 
  日蓮も又かくせめらるゝも先業なきにあらず。不軽品に云はく「其罪畢已」等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも、先業の所感なるべし。何に況んや、日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり。其の中に識神をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢に金をつゝめるなるべし。心は法華経を信ずる故に梵天・帝釈をも猶恐ろしと思はず、身は畜身の身なり。色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり。心も又身に対すればこそ月・金にもたとふれ。又過去の謗法を案ずるに誰かしる。勝意比丘が魂にもや、大天が神にもや。不軽軽毀の流類なるか、失心の余残なるか、五千上慢の眷属なるか、大通第三の余流にもやあるらん、宿業はかりがたし。鉄は炎打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。
  般泥・経に云はく「当来の世、仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此等の方等契経を誹謗すること有らん。
 

平成新編御書 ―580㌻―

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