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『祈祷抄』


(★626㌻)
  されば法華経の行者の祈る祈りは、響の音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。世間の法には我がおもはざる事も、父母・主君・師匠・妻子・をろかならぬ友なんどの申す事は、恥ある者は意にはあはざれども、名利をうしなひ、寿ともなる事も侍るぞかし。何に況んや我が心からおこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加ふれどもなす事あり。
  さればはんよきと云ひし賢人は我が頚を切りてだにこそ、けいかと申せし人には与へき。季札と申せし人は、約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき。而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は、小乗経には五障の雲厚く三従のきずな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は「初発心の時便ち正覚を成ず」の言も有名無実なりしかば、女人成仏もゆるさゞりしに、設ひ人間天上の女人なりとも成仏の道には望みなかりしに、竜畜下賤の身たるに女人とだに生まれ、年さへいまだたけず、わずかに八歳なりき。かたがた思ひもよらざりしに、文殊の教化によりて海中にして法師・提婆の中間、わづかに宝塔品を説かれし時刻に、仏になりたりし事はありがたき事なり。一代超過の法華経の御力にあらずばいかでかかくは候べき。
  されば妙楽は「行は浅く功は深し以て経力を顕はす」とこそ書かせ給へ。竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諌めなくとも、いかでか法華経の行者を捨てさせ給ふべき。されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教へを闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ、すゝませさせ給ひしか。竜女の誓ひは其の所従の「口の宣ぶる所に非ず、心の測るに非ず」の一切の竜畜の誓ひなり。娑竭羅竜王は竜畜の身なれども、子を念ふ志深かりしかば、大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて、即身成仏の御布施にせさせつれ。此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
 

平成新編御書 ―626㌻―

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