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『祈祷抄』


(★627㌻)
  提婆達多は師子頬王には孫、釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄なり。善聞長者のむすめの腹なり。転輪聖王の御一門、南閻浮提には賤しからざる人なり。在家にましましゝ時は、夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ、宿世の敵と思ひしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時、仏に汝は癡人、唾を食らへる者とのられし上、名聞利養深かりし人なれば、仏の人にもてなされしをそねみて、我が身には五法を行じて仏より尊げになし、鉄をのして千輻輪につけ、蛍火を集めて白毫となし、六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮かべ、象頭山に戒場を立て多くの仏弟子をさそひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石を放って仏の御指をあやまちぬ。具に三逆を犯し、結句は五天竺の悪人を集め、仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆沙羅王は仏の第一の御檀那なり。一日に五百輌の車を送り、日々に仏並びに御弟子を供養し奉りき。提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語らひて、父を終に一尺の釘七つをもてはりつけになし奉りき。終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に堕ちにき。三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき。されば大地微塵劫は過ぐるとも無間大城をば出づべからずとこそ思ひ候に、法華経にして天王如来とならせ給ひけるにこそ不思議に尊けれ。提婆達多、仏になり給はゞ、語らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是偏に法華経の御徳なり。されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住まはせ給ふらめとたのもし。
  諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位までせめて、元品の無明計りもちて侍るが、釈迦如来に値ひ奉りて元品の大石をわらんと思ふに、教主釈尊四十余年が間は「因分は説くべし、果分は説くべからず」と申して、妙覚の功徳を説き顕はし給はず。されば妙覚の位に登る人一人もなかりき。本意なかりし事なり。而るに霊山八年が間に「唯一仏乗を名づけて果分と為す」と説き顕はし給ひしかば、諸の菩薩皆妙覚の位に上りて、
 

平成新編御書 ―627㌻―

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