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『如説修行抄』


(★673㌻)
 天台云はく「法華折伏破権門理」と、良に故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり、よいに鳴くは物怪なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし。
  本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今日蓮は二十余年の間権理を破るに其の間の大難数を知らず。仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気、遠国の流罪、竜口の頚の座、頭の疵等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵の杖定んで有るべしと知り給へ。
  されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行人は釈尊・天台・伝教の三人はさてをきぬ。末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ候べきか、釈迦如来・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那は念仏・真言・禅・律等の行者なるべきか。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還って法華経となるべきか。東は西となり、西は東となるとも、大地所持の草木共に飛び上りて天となり、天の日月星宿は共に落ち下りて地となるためしはありと云ふとも、いかでか此の理あるべき。
 

平成新編御書 ―673㌻―

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