←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『如説修行抄』


(★672㌻)
 廃権等のいはれを得意分け給ひて、領解して言はく、法華已前の歴劫修行等の諸経をば「終不得成、無上菩提」と申しきり給ひぬ。然して後、正宗の法華に至って「世尊法久後、要当説真実」と説き給ひしを始めとして「無二亦無三、除仏方便説」「正直捨方便」「乃至不受余経一偈」といましめ給へり。是より已後は「唯有一仏乗」の妙法のみ一切衆生を仏に成す大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、末代の学者、何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思ひて、或は真言、或は念仏、或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗諸経を取り取りに信ずるなり。是くの如き人をば「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、乃至其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。此等の明鏡を本として一分もたがえず、唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
  難じて云はく、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はゞこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし、安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云はれ候まじきか如何。答へて云はく、凡そ仏法を修行せん者は摂折二門を知るべきなり。一切の経論此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまなぶと云へども、時刻相応の道理を知らず。四節四季取り取りに替はれり。夏はあたゝかに冬はつめたく、春は花さき秋は菓成る。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓実を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦是くの如し。小乗の法流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。
 

平成新編御書 ―672㌻―

provided by