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『南部六郎三郎殿御返事』


(★682㌻)
 誰を以てか法華経の行者と為さん。敵人有りと雖も法華経の持者は無し。譬へば東有って西無く天有って地無きが如し、仏語妄説と成るべきか如何。予自讃に似たりと雖も之を勘へ出だして仏語を扶持す。所謂日蓮法師是なり。
  其の上仏不軽品に自身の過去の現証を引いて云はく「爾の時に一の菩薩有り常不軽と名づく」等云云。又云はく「悪口罵詈」等せらる。又云はく「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始めを勧め励ましたまふ。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽ちに妙覚の極意に登らせたまひぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被り二度遠流に当たる。当来の妙果之を疑ふべしや。如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したまふの時にすら猶留難多し、所謂付法蔵第二十の提婆菩薩・第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頚を刎ねられ、第八の仏駄密多・第十三の竜樹菩薩等は赤き旗を棒げ持ちて七年十二年王の門前に立てり。竺の道生は蘇山に流され法祖は害を加えられ、法道三蔵は面に火印を捺され慧遠法師は呵嘖せられ、天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す。是等は皆王の賢愚に当たるに依って用取有るのみ、敢へて仏意に叶はざるに非ず。正像猶以て是くの如し、何に況んや末法に及ぶにおいてをや。既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸ひの中の幸ひなり。瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり。但し歎きは仁王経に云はく「聖人去る時七難必ず起こる」等云云。七難とは所謂大旱魃・大兵乱等是なり。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行なはれず」等云云。愛悪人とは誰人ぞや、上に挙ぐる所の諸人なり。治罰善人とは誰人ぞや、上に挙ぐる所の数々見擯出の者なり。星宿とは此の二十余年の天変地夭等是なり。経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり。其の上御勘気已前に其の由之を勘へ出だす、所謂立正安国論是なり。誰か之を疑はん、之を以て歎きと為す。
  但し仏滅後今に二千二百二十二年なり。正法一千年には竜樹・天親等仏の御使ひと為って法を弘む、然りと雖も但小・権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず。像法に入って五百年に天台大師漢土に出現して、南北の邪義を破失して正義を立てたまふ。所謂教門の五時・観門の一念三千是なり。国を挙げて小釈迦と号す。
 

平成新編御書 ―682㌻―

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