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『弥源太殿御返事』
(★722㌻)
№0155
弥源太殿御返事 文永一一年二月二一日 五三歳
抑日蓮は日本第一の僻人なり。其の故は皆人の父母よりもたかく、主君よりも大事におもはれ候ところの阿弥陀仏・大日如来・薬師等を御信用ある故に、三災七難先代にこえ、天変地夭等昔にもすぎたりと申す故に、結句は今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕ち給ふべしと、一日片時もたゆむ事なくよばわりし故にかゝる大難にあへり。譬へば夏の虫の火にとびくばり、ねずみがねこのまへに出でたるが如し。是あに我が身を知って用心せざる畜生の如くにあらずや。身命を失ふ事、併ら心より出づれば僻人なり。但し石は玉をふくむ故にくだかれ、鹿は皮肉の故に殺され、魚はあぢはひある故にとらる、すいは羽ある故にやぶらる、女人はみめかたちよければ必ずねたまる、此の意なるべきか。日蓮は法華経の行者なる故に、三類の強敵あつて種々の大難にあへり。然るにかゝる者の弟子檀那とならせ給ふ事不思議なり。定めて子細候らん。相構へて能く能く御信心候ひて、霊山浄土へまいり給へ。
又御祈祷のために御太刀同じく刀あはせて二つ送り給はて候。此の太刀はしかるべきかぢ作り候かと覚へ候。あまくに、或は鬼きり、或はやつるぎ、異朝にはかむしゃうばくやが剣に争でかことなるべきや。此を法華経にまいらせ給ふ。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬へば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。後生には此の刀をつえとたのみ給ふべし。法華経は三世の諸仏発心のつえにて候ぞかし。但し日蓮をつえはしらともたのみ給ふべし。けはしき山、あしき道、つえをつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。南無妙法蓮経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏・多宝仏・
平成新編御書 ―722㌻―
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