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『国府尼御前御書』


(★739㌻)
 №0161
     国府尼御前御書 文永一一年六月一六日  五三歳
 
  阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此の文を二人して人によませてきこしめせ。
  単衣一領、佐渡国より甲斐国波木井の郷の内の深山まで送り給び候ひ了んぬ。法華経第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわらげて云はく「若し毀謗せん者は頭七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は頭七分にわるべしと云云。
  夫日蓮は日本第一のゑせ者なり。其の故は天神七代はさてをきぬ。地神五代又はかりがたし。人王始まりて神武より当今まで九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほどあまねく人にあだまれたる者候はず。守屋が寺塔をやきし、清盛入道が東大寺・興福寺を失ひし、彼等が一類は彼がにくまず。将門貞たうが朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆にはにくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法・上一人・下万民一人ももれず、父母のかたきのごとく、謀反強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり。されば或時は数百人にのられ、
 

平成新編御書 ―739㌻―

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