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『新尼御前御返事』


(★762㌻)後
 №0176
     新尼御前御返事 文永一二年二月一六日  五四歳
 
  あまのり一ふくろ送り給び了んぬ。又大尼御前よりあまのり畏まり入って候。
  此の所をば身延の岳と申す。駿河の国は南にあたりたり。彼の国の浮島がはらの海ぎはより、此の甲斐国波木井郷身延の嶺へは百余里に及ぶ。余の道千里よりもわづらはし。富士河と申す日本第一のはやき河、北より南へ流れたり。此の河は東西は高山なり。谷深く、左右は大石にして高き屏風を立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵が矢を射出したるがごとし。此の河の左右の岸をつたい、或は河を渡り、或時は河はやく石多ければ、舟破れて微塵となる。かゝる所をすぎゆきて、身延の嶺と申す大山あり。東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺、北は身延の嶺なり。高き屏風を四つついたてたるがごとし。峰に上りてみれば草木森々たり。
 

平成新編御書 ―762㌻―

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